つながりから⽣まれる、
集いの海辺未来へつなぐ、ひと。
「貞⼭運河」あるいは「貞⼭堀」と聞いて、海岸線沿いに位置する穏やかな運河と美しい松林をイメージする⼈は多いのではないでしょうか。2011年の東⽇本⼤震災では、運河の沿川が甚⼤な被害を受けました。この貞⼭運河沿川を復興するとともに、憩いの場所としてより多くの⼈に訪れてもらいたい。そうした思いで活動をする「貞⼭運河倶楽部」の遠藤さんに、活動拠点である「新浜みんなの家」(宮城野区岡⽥の新浜地区)でお話を伺いました。
失いかけて気付いた、
海と運河のある暮らしの豊かさ
【私はひと⽬、貞⼭堀をみたいと思っていたが、おそらく開発などのために消滅しているのではないかとも思っていた。ともかくもこれほどの美しさでいまなお保たれていることに、この県への畏敬を持った。】
作家・司⾺遼太郎の著作『街道をゆく』の⼀節である。地元では普段あまり意識されていないが、外部の⼈間の⽬によって改めてその価値を⾒出される地域の魅⼒というものがある。貞⼭運河もまた、⾝近な⼈間ほど気が付きにくい貴重な「宝」の⼀つかもしれない。
宮城野区岡⽥の新浜地区に住む遠藤さんにとっても、運河は昔から⽣活に密着した存在だった。しかし東⽇本⼤震災を機に、改めてその魅⼒に気が付いたという。沿岸部⼀帯が⼤きな被害を受け、多くの地区が内陸移転を希望する中で、新浜地区の住⺠は話し合いの末、現地再建を決断した。
「私が⼦供の頃、運河には塩釜から閖上の⽅までポンポン船が通っていました。祖⽗が漕ぐ和船で松島まで⾏ってハモを釣ったことがあります。当時は海辺の集落をつなぐようにバスが⾛っていました。運河でハゼを釣って⾷べたり、海岸林で焚きつけに使う松の葉を集落総出で集めたりもしましたよ」。現在の⾵景からは想像もできないが、遠藤さんが昭和30〜40年代の貞⼭運河の様⼦を教えてくれた。
「震災前は毎朝、運河沿いをランニングするのが私の⽇課でした。海岸林があって、運河があって、その先に海があって…。この⼀体的な⾃然の中で暮らすことが当たり前だと思っていたけど、それが実は素晴らしいことだったんですね。⼈と⼈とのつながりも強いですし、この地区の住⺠は、みんなこの場所に愛着があるんです」。
運河に架かっていた橋が震災で流されたために、海辺に⾏けなくなってしまったことが住⺠たちの悩みだ。この場所の素晴らしさをより多くの⼈に知ってもらいたい。そして交流⼈⼝を増やし、橋を再建してもらいたい。そう遠藤さんは考えている。
新浜地区の現在、そして
⾃然海岸としての価値
遠藤さんは2013年に仙台市役所を退職後、知⼈の紹介で「貞⼭運河研究所」の勉強会に顔を出すようになった。震災後に設⽴されたこの研究所では、貞⼭運河を観光資源として復興に活⽤すべく、企業⼈や学識経験者、⾃治体関係者などの地元有志が交流しながら、各種調査や意⾒交換会を実施し、シンポジウムや現地でイベントを開催、ガイドマップの作成などを⾏っていた。この研究所が解散した後、有志で「貞⼭運河倶楽部」が結成された。遠藤さんは新浜地区の住⺠として積極的に活動に関わるようになった。
新浜地区では震災後、住⺠が約3分の1に減ってしまったが、現在は新たな形で活気を取り戻しつつある。今回の取材場所である「新浜みんなの家」は、熊本県からの⽀援で建築された集会所で、建築家・伊東豊雄⽒らの設計によるものだ。住⺠が⽇々気軽に集う場であり、地域活動や町内会⾏事でも頻繁に利⽤されている。周辺にはグラウンド・ゴルフ場や体験農園、海岸公園などが整備されており、地域の交流拠点となっている。
しかし⼀番の魅⼒はやはり貞⼭運河と海辺だ。新浜地区の砂原海岸は、ほとんど⼈の⼿が加えられていない貴重な「⾃然海岸」であることも広く伝えたいと、遠藤さんは考えている。この環境と⽣態系を守るため、震災後の復興⼯事にあたっては、⼤学や研究団体、⾏政機関による詳細な調査のもと、⾃然と防災の両⽴を意識した細やかな整備が⾏われた。現在、海辺の野⽣動植物は、驚くほどの速さで回復しつつあるという。
「先⽇、⾼校⽣が砂浜の清掃活動に来たんですが、海を⾒て感動しているんです。ゴミを拾うのも忘れて⾒惚れている⽣徒もいてね(笑)。震災で海辺が⾝近なものではなくなってしまったから、初めて⾒た⼈が多いのかな」
ちょっぴり寂しそうに話す遠藤さん。海辺を「危険な場所」ではなく、もっと「⽣活に寄り添う楽しい場所」だと感じてほしいと、強く考えている。
⽬指すはアートミュージアム
⼈と⼈とがつながる場所へ
新浜地区の⾒所は他にもある。それは、せんだいメディアテークが進める「せんだい・アート・ノード・プロジェクト」(2016〜)で制作された、屋外アート作品の存在だ。世界的に活躍するアーティスト・川俣正⽒が中⼼となって⻑期的に実施するもので、これまでに制作された作品のうち、運河沿いにある「新浜タワー」と「みんなの⽊道」は誰でも⾃由に⾒学することができる。今や地区のシンボル的な存在だ。
他にも、若いアーティストが地区内の農園に建てた⼩屋や地元の農家と研究者がつくったビオトープなどがあり、貞⼭運河倶楽部が主催する⼩屋めぐりイベントなどで紹介している。
「暮らしの延⻑線上にアートが感じられるような場所にしたいんです。荒浜で演劇⼈や詩⼈を呼んでワークショップを開催したこともあります。貞⼭運河倶楽部では、そうした⽂化的な活動やアートスポットをつないで、ゆくゆくはこのエリア⼀帯をアートミュージアムのようにしたいと考えています」と、将来的な構想を語ってくれた遠藤さん。今後は隣接する地区と連携しながら、より⼤きな取り組みや情報発信を⾏っていきたいと考えているそうだ。
「この地区の住⺠は、外部の⼈に対してとてもオープンなんです。ぜひ多くの⽅に来て欲しいし、この場所の魅⼒を知ってもらえたら嬉しいですね」。
貞⼭運河は在りし⽇の姿を現代の私たちに伝えるとともに、多くの⼈と⼈とを結びつけながら、新たな未来へと進んでいる。
貞山運河倶楽部
遠藤 源一郎さん
元仙台市職員。2013年に⼋⽊⼭動物公園⻑を最後に退職。翌年から地元の新浜地区で「遠藤環境農園」を開始。震災前の故郷の豊かな⾃然を取り戻したいという思いから、農薬や化学肥料を使⽤しない「仙台メダカ⽶」を作っている。貞⼭運河倶楽部では、新浜地区で開催するイベントやガイドマップの作成などで事務局的な役割を担う。
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